モノを選ぶこと、自分を選ぶこと

モノを選ぶこと、自分を選ぶこと

モノ=「ヒトの身体の外部化」

SNSを見て「私も欲しい」とうらやむ。捨てようとするも「もったいない」とためらう。お土産を見て「あの時の旅行は楽しかった」と思い出す。私たちはモノと関わるたびに感情が揺れ動く。
モノへの愛着は本能的とも言える。それもそのはず、ヒトは歴史の中で体の機能をモノとして外部化してきた結果、モノなしでは生きていけない存在になったからだ。たとえば、ナイフや調理器具は消化機能の外部化であり、外部化の結果、歯は短く、噛む力は弱く、消化管は短くなった。水筒は貯水機能の外部化であり、その結果、こまめな水分補給が必要な体になった。

こうしてヒトは体の機能をモノに託した。その結果、ヒトはモノがある世界で生きることを前提に進化した。服を着ることで体毛が薄くなったり、靴を履くことで足の形が平たくなったりしてきたように。ヒトはDNAという生物学的遺伝子だけでなく、モノをはじめとする文化的遺伝子とともに進化してきたのだ。ジョセフ・ケンリックが『文化がヒトを進化させた―人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』で提唱した「文化遺伝子共進化」である。

 

歴史の発展とモノの増加

そんなヒトとモノの関係は、時代とともに移り変わってきた。ヒトが持つモノの量は増加し続けている。遊動生活から定住生活になり、持ち運べる量以上のモノを自宅や倉庫で所有できるようになった。産業革命以降は、機械による大量生産が可能になり、モノがあふれる時代が到来した。
モノを愛でる本能とモノがあふれる社会。この両者が噛み合えば、際限なくモノを求めてしまうのも当然である。2009年にやましたひでこが『断捨離 新・片づけ術』を、2010年に「こんまり」こと近藤麻理恵が『人生がときめく片づけの魔法』をそれぞれ上梓したように、2010年代以降に話題となっている片づけ術は、ヒトの本能とモノの過剰のミスマッチを解消するための方法という説明ができそうだ。後天的にモノの管理方法を学ばなければ、私たちはモノをとにかく増やしすぎてしまう。

本能に従ってモノを増やせば幸せになれるのか? それとも、ミニマリストになってモノを減らせば幸せになれるのか? どちらが正解なのかは分からない。しかし、どちらにせよ、ヒトはモノがなければ生きていけないし、モノが増え続ける社会を止めることはできない。どんなに社会が変容しようが、これからもヒトはモノとともに生きていくのだろう。我々はモノが好きなヒトであることからは逃れられない。だが、そんな我々にも、「どんなモノが好きか」を選ぶことはできるはずだ。

 

UNLEASHなモノを選ぶ

だから、UNLEASHは考える、「モノを選ぶことは、自分を選ぶこと」だと。逆に言えば、モノ選びを誰かの手に委ねることは、自分の人生を誰かの手に委ねるということにほかならない。"You are what you eat"に倣うならば、"You are what you use"と言えるかもしれない。モノを選ぶこと、使うことに想像力を働かせれば、生きることが楽しくて、自由で、解放された気分にきっとなれる。
最後に、「UNLEASH Equipmentことはじめ」にある以下の文章を引用しながら我々の思いをあらためて述べたい。

"自分自身で選び、自分自身で考え、自分自身で使用する。そうして、自分の暮らしを自分で肯定していく。それこそが人間らしい暮らしなのではないだろうかと、私たちは考えている。私たちはそろそろ人間を回復しなければならない。"

ヒトとモノとの不可分な関係性に思いを馳せてみると、自分の暮らしを肯定するために必要なのは、どんなモノを選び、どのように使用するのかだと思えてくる。UNLEASHは、そのための触媒としてあなたとともにモノを選び、考えていきたい。自分たちの暮らしを自分たちで肯定していくために。

ブログに戻る